Sone Junko Self-introduction


優等生だった小中学生期 1970年頃~

1952年大阪生まれ

小さい頃はまるっきりインドア派で親に反抗して外に出たがることもなく、家にいて読書をしたり絵をかいたり、手芸をしたりして満足しているちょっと引っ込み思案で痩せっぽちのおとなしい小さい女の子でした。優等生でいるとまわりが評価してくれるので、それを自分の姿だと勝手に思い込んでいたようです。あまり必死で勉強しなくても中学校の成績は常にトップクラスだったので、自然な流れで大阪一の進学校「北野高校」に入学し(橋下徹や有働由美子、かの号泣議員とか、古くは森繁久彌、手塚治虫の卒業校でもある)、そこで初めて上には上がいる、と頭を打って挫折します。それまでは常に上から下を見ていた者が、今度は打って変わって下から上を見上げるようになります。その気持ちよさ、鎧を脱ぎ捨てた軽さ、優等生ではない本当の自分に気がついた時の喜び。その頃から一気に私の人生は色が全く変化したようです。それまでの優等生カラーから一変、授業はサボる。服装はチョー派手。高校生ながらパチンコ、麻雀をしたり、ジャズバーに出入りするようなとんでもない不良娘(死語か?)に親はものすごく心配したでしょうね。

結婚そして出産

大学卒業後、腰掛け就職してから24歳で大恋愛の末、結婚。子ども3人を出産。(それが当たり前の時代でした)若い頃は特に苦労もせずにスリムなボディラインを維持していたのにも関わらず、出産後はすっかりガタガタになってしまいました。自分の身体にすっかり自信をなくして絶望感でいっぱい。でも子ども3人抱えてジムやエステなど到底行けない(その頃は既にシングルマザーだった)お金も時間もないその頃に自分の身体を変えるために考えた方法が、今指導している「クイーンズストレッチ」の原型なのです。

いよいよ社会進出

何かを始めるのに、自分のスキルと経験を積んでからでないと受け入れてはもらえない、というのは言い訳に過ぎないと思います。スキルと経験を積む時間とお金はその頃の私にはまったくなかった。あるのは、向上心、探究心、好奇心、心、実際にお見せできないものばかり。しかしやればできるものです。まったく悲しいほど何もない状態から自分の小さいサロンを持つことができたのです。まだその頃は「女性が経営している女性のためのサロン」というのは他になく、評判が評判を呼んで3ヶ月先まで予約が取れないサロンとして口コミだけで大繁盛しました。シングルマザーとして家族を養うために稼がないといけなかったので、それはとてもありがたかったのです。お客様のおかげです。

実家倒産で絶対絶命の危機到来

仕事の方は至極順調に進んでいた矢先、ちょうどバブル崩壊の影響で実家の会社が倒産。そのあおりで自宅も仕事場も全て失うという絶体絶命の危機に陥ってしまいました。実家の会社の甘い汁に頼っていたこともあって私にとっては大打撃でしたが、反面これで自分一人の力が発揮できる場がやっと訪れた、とものすごく嬉しかった記憶があります。これで思いっきり自分の実力を発揮できるのだと。その辺りからですね、本当に仕事に真剣に取り組むようになったのは。そして仕事の方向も変えていって念願の「スタジオ」をオープンできることになったのです。

スタジオ オープン

ストレッチを専門に指導するスタジオというのが果たして世間に認めてもらえるのか、本当にドキドキしながら 2011年1月 新大阪のスタジオをオープンさせることができました。ストレッチの指導の日々を送りながら、数年前のある日に孫とチャンバラごっこをしていて「この棒がストレッチに使えるでは」とひらめき、考え出したのが「ポールストレッチ」。「ポール(棒)」をストレッチに補助的に使うことで、可動域が飛躍的にアップすることに気づいたのです。堺の鉄工所に頼み込んで、長さ、太さ、重さなどにもこだわり、何度も試行錯誤を重ね、職人さんに作ってもらったのが『クイーンズポール』です。

ガン発覚

クイーンズポールのレッスンも定着し、そろそろ外部にも働きかけて集客をしようと思っていた矢先、それまで風邪ひとつ引いたことのない私が珍しく体の不調を感じて検査をしたところ「子宮頸がん」が発覚。発見した時はすでにステージⅢbという末期の一歩手前でした。そこで挑んだ、想像以上に過酷な放射線治療。さらに、それ以上に大変だった抗がん剤の副作用。気力が沸かず、食欲もなく、ただただベッドに横たわって過ごすだけの日々に心が折れそうになり「もうこのまま普通の生活に復帰できないのでは」と思ったものです。そんな辛い過酷な経験も、今となっては、私を成長させてくれる糧になったと思えます。身体の不調や病気に悩む人の気持ちを以前より理解できるようにもなりました。退院後、体力を戻す為に実践したのもストレッチでした。そしてソネジュンコは復活します!

テレビ出演

2015年春、このブログで私のことを知った方から是非雑誌に紹介したい、という連絡をいただきました。それがライターの堀容優子氏。そして雑誌「ゆほびか」に掲載していただいたのを皮切りにたくさんのメディアから注目していただいて一気に注目度がアップ。病気を乗り越えて復活し一日一日を楽しく生きる自分を取り戻すことができて、元気に働けるようになった今、『クイーンズストレッチ』『クイーンズポール』を広く世の中のたくさんの悩める女性に伝えていけたらと願っています。何歳からでもカラダは自分で変えることができるのです!